志木市のご案内

志木市沿革

 志木市は、埼玉県南西部に位置し、昭和45年に県内28番目に市制を施行した。志木の中心を流れる新河岸川と柳瀬川、そして東を流れる荒川と3本の川が志木のシンボルともなっているが、特に歴史的には、新河岸川の舟運で栄えた商業都市として発展してきた。
 昭和40年頃から首都近郊25km県内で都心まで20分という好条件からベッドタウンとして急激に都市化が進んだ。中心市街地は志木駅周辺で柳瀬川駅南側には志木ニュータウンの整然とした街並みが続く。また、北東部には荒川が流れ、自然や田園風景も残されており、市の基本構想に定めている「人と人、自然とひとが共生した色彩豊かな快環創造都市」の実現を目指し、市民一人ひとりが住んで良かったと思えるようなまちづくり推進している。
 まちづくりでは、東上線、有楽町線の相互乗り入れにより、利便性が向上し、志木駅東口再開発により、快適な駅前環境が整備された。同時に住民の郷土意識高揚や憩いとやすらぎをテーマとしたまちづくりにも取り組み、立地を活かした「親水公園」が建設された。また、「21しき市民会議」、「市政懇談会」など市民が主体的に市政に参加する機会を一層充実させるなど、市民、行政、「協働型」のまちづくりを推進している。

郷土の民芸品・志木市「上の水車」

kachiguruma 明治時代の志木市及び周辺には小麦の栽培が適している地域として、生産者が多かった事から、関連事業者が多く、製粉業者も72戸、実馬力90と記録されており、当時では相当の製粉能力があったと思われる。また、当時の動力源には、豊富な野火止用水の水量を利用した水車が使われており、周辺地域には11基も設置され、地域の産業発展の原動力となっている。
 この水車は、明治21年頃から昭和初期まで活用され、近代的な機械製粉業の発展にも拘わらず、製粉、精米、精麦など、長期に亘り動力源として使用されてきた。
 特に、この地方では、 製粉、精米、精麦など、出来上がる事を「つく」と言われていた事から、このかち車には「勝がつく車」として願をかけ、勝利を身につける縁起の良い民芸品として製作されている。
 厳しい経済社会の中では、企業が、勝組と負組に分けられる時代かち車の運を見方につけて、勝組の企業になることを願います。
 尚、かち車は、平成16年度第45回全国推奨観光土産品審査会に於いて、全国観光産品推奨品受賞作品として認定されました。
製作者:志木市商工会